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2016/04/16

こころの傷ー報道により呼び覚まさせる記憶

熊本・大分県での地震による被害を被られた皆様にお見舞いを申し上げるとともに、尊い命を落された方々のご冥福をお祈りします。

 

ここ一両日、TVではニュースや特別番組を通じて地震の被害を繰り返し報道しています。

時間が経つにつれ被害が確認され、報道の内容はより被害の甚大な現場を流します。

阪神淡路・新潟中部・東北の地震の時もそうだったと記憶しています。

報道は正しい情報を提供するものです。

そういった意味では被災地がどのような状況であるのか、より詳しく番組内で流すのは報道としての義務でもあるのでしょう。

けれど私の感じたことは、どの局も、より悲惨な現場の映像・より大きな被害を受けた方へのインタビューをまるで競うかのように取り上げているのではないかということです。

 

繰り返し流れる地震発生所の固定カメラの映像。

倒壊した家々。

寸断された道路。

亡くなった方への思い。

これらの情報は、私たちの過去の体験を思い出させ、不安を増長し、恐怖を呼び起こします。

 

今日(16日)の昼のラジオ番組で「自分たちに一体何ができるのだろうか。こんな大変な時にこんなこと(クリエーターの仕事)をしていて良いんだろうか」というメインパーソナリティーの言葉を聞きました。

5年前の地震の時に多くの人が感じた事でもあります。

日本中が虚無感・無力感に包まれたあの時のことを今回の地震で思い出し、辛い思いをしている人も多いと思われます。(私自身TV報道を視ているのが辛く感じられます)

 

現状を知らせる・知るということは大切だと思いますが、伝え方によって人々の受け取る感情は違ってきます。

 

崩壊した建物からどのように脱出したのか。

地震発生時どのように自分の身を、家族を守ったのか。

近隣の人たちとどのように声を掛け合い助け合ったのか。

同じ映像から聞こえる話が違うと視ている人の感情も変わってきます。

 

活断層の位置や地震のメカニズムも大切ですが、そのような情報を知りたいと思うのは私だけでしょうか。

 

あかり1

 

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心の対話室うちゆい

E-mail 556.uchiyui@gmail.com
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