40余年も前の警告の書?
ミヒャエル・エンデの「モモ」を15~6年ぶりに読みました。
以前読んだ時は、夫が亡くなり半引きこもり&プチ鬱の時でした。
図書館で借りて読んだことは覚えているのですが、
モモという女の子と円形劇場という場面以外、話の内容はほとんど覚えていませんでした。
今回読み返して、児童文学とはいえ考えさせられることがたくさんありました。
そして我が身を振り替えさせられることも。
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光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのとおなじに、人間には時間を感じとるために心というものがある。そして、もしその心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないもおなじだ。ちょうど虹の七色が目の見えない人にはないもおなじで、鳥の声が耳の聞こえない人にはないもおなじようにね。でもかなしいことに、心臓はちゃんと生きて鼓動しているのに、なにも感じとれない心を持った人がいるのだ。
****「モモ」より抜粋****
飛行機がない時代には人は船で海を渡りました。
自動車や電車がない時代には人は歩きました。
飛行機や自動車や戦車がある現代。
移動時間が短くなったにも関わらず、
何故か人間は「時間がない」とい言っています。
電気がない時代に人は太陽の下で働き学びました。
機械がない時代には人は時間をかけ手で物を作りました。
電気があり機会がある現代。
人は「忙しい」と呟きます。
人間は便利なものを生み出し時間を手に入れてきました。
なのに「時間がない」「忙しい」のは何故なのでしょうか。
そして心を亡くす人もまた増えています。
そう、心臓はちゃんと生きて鼓動しているのに、なにも感じとれない心を持った人が。
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心の対話室うちゆい
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